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インスタント書感

「1記事3分間(最長1800字)で読める」をコンセプトに、主に読書感想を垂れ流すブログ

【求ム】エロを一切排除した女子学生の写真集

つまり、瑞々しさに飢えている

ここ2、3年のうちに、花を見るのが好きになった。丁寧に手入れされた公園の花壇に彩りよく咲き並ぶ花でも、アスファルトの塀を背にピンと茎を伸ばしてたくましく咲く路傍の花でも、なんでもいい。その花びらの美しさ、瑞々しさに、私の心は和らぎ、魅了される。この世で一番美しい色は何かと問われれば、花の色だと迷わず答えるだろう。

それまでは、花なんて見ても、なんとも思わなかった。夏休みの課題で朝顔や菊を育てるのはひどく億劫だったし、花が咲いても、ただただ無感動だった。

 

欲していなかったのだ、と私は思う。花の生命力も美しさも、すでにそれらを余るほど持っていた当時の自分には、これ以上取り入れる必要がなかったのだ。誤解のないように言っておくが、美しさというのは見た目のことではなくて、若者が無条件に持っているキラキラしたあれだ。充実感でもいいし、煩悶でもいい。物でも人でも、それに対してひたすらに一途だった時期は誰にでもあるだろう。

 

つまるところ、今の私はそういった瑞々しさに飢えているということになる。まるで他人事のような言い様。不思議なことに、いつどうしてそんな状態になってしまったのか、自分でもまったく思い当たらないのだ。実感がない。でも、確証はある。

当たり前に持っていたものを、私は確かに、知らない間に失っている。

 

一片のエロもいらない

花を見るのは好きだし、直に見てこそ美しさが分かるというものである。と、ここまで言っておいてなんだが、わざわざ出かけてまで見たいというほどの気概はない。そうすると、目に触れる機会は自然と減っていく。私の心は秋冬には枯葉のようにカッサカサである。

 

だからだろうか。私はときどき、女子学生(中学生、高校生)の写真集が欲しくなる。そうやって花の代替を探していたのだと、この記事を書きながら私は気が付いた。

 

しかし、書店の写真集コーナーに立ち寄ってがっかりするのは、「色」をにおわせる商品が基調とされていることである。女子学生同士がやたら密着していたり、短いスカートから伸びる脚のアップだったり、要するに、「なんかちょっとエロい」のだ。明らかに男性をターゲットにした商品と分かる。

別にそういった商品も、それらを手に取る人も否定するつもりはない。でも、なんでこんなのばっかりなの? とも思う。

あえて男性目線を排除した、「なんの変哲もない”こども(たち)”の光景」というスナップ写真のような写真集が、私は欲しいのだ。

 

たとえば、あの成人向け漫画雑誌の表紙

『COMIC LO』という成人向け漫画雑誌がある。男性目線を排除した云々と言っておきながらなんだよ、と思われるかもしれないが、まあ聞いてほしい。

その表紙には毎号、少女のイラストが飾られているのだが、見た目にはこれが成人向け雑誌とは到底思えないのである(ちなみに、本誌は少女を対象とした性描写がメインであるから、検索する場合は自己責任でお願いしたい。以下のリンク先は、個人的な感覚では閲覧に問題なしと判断するが、ここまで読んで嫌悪感を抱いた方はクリックしないことを推奨する)。

私が写真集の被写体を女子中高生に求めるのも、多分にこの影響があるためだと思う。

 

「色」ではなく、少女たちの姿とともに、そこに描かれた川や土、雨や太陽の「自然のにおい」が伝わってきそうな表紙ばかりである。私が欲しいのは、正にこういう写真集だ。

 

購入者の視線を意識しないということ

花は私たちの視線を意識して咲いているわけではない。それと同じように、COMIC LOの表紙の少女たちも、雑誌を手に取る人たちの視線など知るよしもない。友達だったり、親や親戚だったり、あるいは自然物だったり、そういうものと触れ合う無防備な様子を切り取られただけに過ぎない。

第三者の欲望とはかけ離れたところにいるから、媚びがないのである。だから、私たちは余計なフィルターなしに、「生」をダイレクトに受け取ることができる。

 

もし、それらの被写体が3次元に置き換わったら? 生身の彼女たちから受け取るエネルギーはより充溢したものになると思うのだが、こういった要望はやはりマイノリティーなのだろうか。

でもなぁ。一途に生きている若い人の姿、きっと需要はあると思うのだけど。